霞を食べる日

穏やかに生きるための日記帳

自己防衛するおたくと同担拒否のはなし

身を守るために同担を拒否するということ

わたしは推し事において、「人類みな解釈違い」だと考えている。
それは作品への解釈であり、推しという人物への解釈であり、オタクとしての行動への解釈でもある。

みんなそれぞれの信念や理想や仮説があって、そのベクトルが違う方向に向いている人士は認め合うことはできても根底から分かりあうことはできないし、自分の理想を他人と共有することはできても、共感を求めたり押し付けたりすることはナンセンスだ、と思っている。

「わたしから見える推し」「わたしから見える推し」に過ぎない
「他の人から見える推し」「他の人から見える推し」に過ぎない
そのビジョンを交流の糧に使いたくないし、相手の意見に違和感を覚えたり否定感情を抱くのは気持ちのいいことではないので、俳優おたくになって早10年超(結構なパワーワードだ!)、自分の身を守るために拒否を貫いている。

いろんな理由で「交流不可」となるひとがいると思うけれど、
自分の為にも、わたしがとの関わりを避ける理由を書いておこうと思う。

 

 

 

 

 

妬み僻むおたく

数年前、何度か続けて会場へ足を運んだバンドがあった。
40代~50代のファンが中心の会場の中で、20代なりたてのわたしはまあそれなりに浮いた。

目立たないことに神経を尖らせていたし本気で存在感皆無だったけれど、若いという個性だけが独り歩きした結果、古参に認知され目を付けられて、とにかく嫌な思いをした。
その後、いつも一人で来ているという妙齢の女性に声をかけられて何度か話をしたが、彼女が第一声、「おいくつですか?」と聞いてきたのを覚えている。
その上で彼女が柔らかな口調でマウント攻撃をしかけていることに気づいてからは億劫になり、以降一度もライブへ行っていない。

誰かを妬み僻む姿というのはとてもみっともない。

ファンたちの視線や言葉から察するに、わたしが目を付けられた理由はただただ「自分よりも若いことで目立っている」ということで、そんなことで目の敵にされるなんて本当に迷惑極まりない。

いやいや自分だって昔は新規だったでしょ…?若かった頃があったでしょ…?わたしもこれからそちら側(年齢的な意味で)にいくからそんな目の敵にしなくても…と今なら思うけど、当時はあの若い子また来たよとコソコソ言われるのが嫌で仕方なかった。
というか年下相手にマウントをとりたいと考える時点でそれは…年齢に対する妬みだと捉えられて仕方ないのでは…?

自分の感情を他人にぶつけるという行為を、わたしはものすごく恥ずかしいことだと感じているので
妬みや僻みをあらわに、牙をむき出しにする人とは距離を置きたい。(しかも会場だよ…?推し見てるかもよ…?スタッフさんに監視されてるかもよ…?)
それに自分ではどうしようもない理由(年齢とか、身体的な特徴とか)勝手に敵対視されるのは想像以上のストレスになるということを改めて実感したので、極力現場を楽しい空間だと認識できるように人との関わりは避けている。

ファンは等しくファンでしかないのに、なんで優劣をつけたがるんだろう。

みんな友達!なんて1mmも思ってないけど、仲良くなれないからこそ当たらず障らずいようよ。

 

推しを罵るおたく

世の中には貶し愛というものがあるけれど、わたしはこれがすごく苦手だ。
推しの仕事ぶり(演技や歌やダンスや、わたしたちが消費者としてお金を払う部分)への評価は悪口としてカウントしないけれど(それも会場では聞きたくない)
本人の性格や、ファッションセンス、ふとした癖とか表情とか、そういう部分を面白がって批判揶揄するのは非常に子供じみている。と思う。



みんなそれぞれ捉え方は違うので、
ちょっと抜けたところを、可愛いと思う人も頼り甲斐がないと思う人もいるし
大きな声を、よく通る声だと評価する人もうるさいと一蹴する人もいる。
個性的なファッションを、斬新だと思う人もダサいと思う人もいる

人の揚げ足をとったりウィークポイントの指摘を愉快に感じている人は、シンプルに相手の気持ちがわからないように見えるので、同担だからという理由以前に人として付き合いづらさを覚える。

分かりやすく例を挙げるなら、「自分はB専だ」といいながら推しの名前を挙げる人。
「わたしは推しの顔が好き」だけでいいのに、何で一度推しを落とす必要があるんだろう。

この発言からは
わたしは世間的に不細工だといわれる顔面が好き
・B専なわたしが好きな推しの顔面は不細工である
・あなたもだということは、不細工だと思われる顔面が好きなB専なはず
【結論】推しは不細工だ(しかし推している)

これくらいの解釈が可能で、推しにも、聞いている相手にも非常に不快な思いをさせると思う。シンプルな疑問だけどこういう発言して楽しい?楽しいってひとは冗談抜きでやばくない…?


そしてこういう人たち、

「いやでもわたしは顔面含めて推しが好きだし」とか

「顔面で好きになったわけじゃないし」とか言いがち(私調べ)


顔面が好きなら貶す必要なし、顔面で好きになったわけじゃないなら尚更顔面に触れる必要なし
というのがわたしの意見なので、こういう人とは一生噛み合わないんだろうなと思う。

それは、推しの話を踏み台にした自分アピールじゃない?
欠点を持ち出して推しを落とすことで、結果的に自分をアゲてない?


冷たい言い方だけど、ファンだからといって応援している相手のすべてを認める必要なんてないと思う。
腑に落ちないところも含めて推してるわたし!という自己アピールは個人的にとても寒いし恥ずかしい。

もちろんどんな推しにだって、直した方がいいところや欠点はあるだろうし、もしもそれが人として、芸能人として、モラルに関わるような問題であるならばそれに対して気持ちを伝えるのは間違いではないけれど、
大抵のことは周囲の反応や、本当に近しい人からの進言を得て本人の気付きによって改善されればいいと思うし、推しを自分勝手に解釈して消費しているわたしたちに文句を言う権利はないと思う。

推しはファンの為に生きているわけでも、ファンの為だけに仕事をしているわけでもない。
ファンはファン以上でも以下でもなく、友達でも保護者でもないのだから推しを教育したいとか導きたいみたいな思想は、はっきり言って迷惑だし怖いと思う。


ネガティブを他人に共有して一体何の役に立つんだろう。
ネガティブな意見をアウトプットせずにいられない人とは仲良くなれない。
最初からそういうスタンスを見せてくれる人ばかりではないから、やっぱりなるべくガードを固めて置きたい。

…そもそも貶し愛ってどういう感情で起こるものなの…?全然良さがわからない…好きだから貶すってかなりひねくれてると思うんだけど…

 

推しを知りたがるおたく

推しさんが自分で自分のことを発信してくれると、少しでも推しさんのことを知れて様な気がしてとても幸せな気持ちになる。

でも、推しさんのプライベートを自ら知りに行きたいとは思わない
世の中には知りたくない情報があふれているので、インターネットやTwitterで推しさんの名前を検索することも避けている。
もしかするとわたし以外のは全員知ってる推しさんの秘密の過みたいなものがあるのかも知れないけど、それを知って自分がどんな感情になるのかということを想像するとつらいので絶対に検索しないし、

推しさんのことがひっかかりそうなワードを検索するときも極力スクロールを避けて薄目で画面を見ることを徹底している。(笑うとこ)

これに関しては、推しさんを信じているから知りたくないというのが率直な意見。

純粋な気持ちで推しさんの演技を見て感動したいし、素直な気持ちで推しさんを好きだと言いたい。

通ってた学校を知らなくても、元カノの特徴を知らなくても、今彼女がいるのかを知らなくても、楽しく推し事ができることをわたしは知っているし、わたしは推しさんが公に見せてくれる俳優としての姿からちょびっとだけはみ出したプライベートを知るだけで十分満足できている。


わたしから見た推しさんは理想そのもので、大好きだからこそ、知らなくていいことを知るのが怖い。
自ら冷めるようなことを知りたくない。
不可侵な関係は不可侵だからこそ長続きすると思う。

だけどそういうことを根掘り葉掘り知りたいタイプの人間は絶対いる。
知りたいだけなら勝手にしてくださいといったところだけれど、
聞いてもいないのに教えてくれる人が稀にいて、
そういう人はどれだけ予防線を張ってもそれを掻い潜って
まるで善意であるかのように真偽の分からない話を聞かせてきたりする。

こういう人に言えるのは一言。
興味ないから!!!!!!!!!!!

 

行動しないおたく

どの世界でも茶の間は叩かれる。
わたしは別に茶の間だからと言って露骨に軽蔑するつもりは毛頭ないけど、
茶の間側から「わたしもあなたとじファンです!」とアピールされたら拒絶する。まだされたことないけど。

茶の間にもいろんな事情があると思う。本当に複雑な理由で現場に通うことが適わない人もいる。

嫌なのは
・行けるのに行かない人
・払えるのに払わない人 この2パターン。

そんな人に限ってtwitterで「行きたかった~」とか「行けばよかった~」とか
軽々しくぬかすのだ。じゃあ???行けば???よくなーい??????(圧)
わたしは地方民なのでそれなりの時間とお金をかけて推し事に勤しんでいる。
自分の好きでやっていることなので凄いとも誰かに褒めてほしいとも思わないけれどおたくとしてはそれなりに頑張っている方だと自負しているし、雑誌や有料配信番組や円盤、写真集や生写真などのグッズも自分の手に届く限り、極力公式から購入するように心がけている。
これも「自分が好きだから」「自分が欲しいから」という意思に基づくものだけど、反面、こういうものに絶対にお金を払わない人もいる。
そのうえ、人が持っているものを羨んだり、どうにかして貸してもらおうとしたりする。自分で買え。

茶の間(行けるけど行かないタイプ)はこの部分の価値観が自分とは大きく異なっていると思われるので関わらずにいたい。
そしてそれなりに労力を費やしているわたしと、何の犠牲も払わずTwitterにあげられる画像や立ち読みの雑誌で推しさんを好きだというあなたを等に語ってくれるなと強い憤りの気持ちを覚える。

心が狭いと思われるかもしれないけれど、地方に住んでいても頑張っておたくを続けられていることを割と誇りに思っている部分があるので、ここは譲れない。譲れないプライオリティ。*1

 

楽しく推すための同担拒否

以上がわたしがとの関わりを避ける理由。

結論として、さらっと書いた

”少しでも現場を楽しいものだと感じたい”

”推しを素直な気持ちで好きだと言いたい” この2つに尽きる。


もちろん現場でと会話をすることもあるし、すごく素敵な出来事もあったので、周りはみんな敵!と思っているわけではないけど
もしかしたら嫌な思いをする(させる)かもしれない…とか
一度仲良くなったら次からもやりとりが発生するかもしれない…
どうしても悪い方に物事を考えてしまう性質なので自分からは縁を持たないようにしているし、今後もこのスタンスを変えるつもりはない。

けど、やっぱり拒否ですと公言するとそれはそれでいろいろ面倒だしこれからもとの関わり方は模索していくつもり。
イベントもあるし…公演もあるし…旅行系イベントとかあったらどうしよう…
"拒否=推しを自分だけのものだと思っている痛いやつ"
という先入観が少しでもなくなった優しい時代、早く来るといいですね。

 

*1:one more step好きでした懐かしい。

推しは推せるときに推せ

日々とりとめもないことを考えていろんなところに書き残していたけれど、どこかに証拠として置いておくのも悪くないなと思ったのでブログを開設してみる。

 

 

国民的グループでも活動休止する

国民的グループのメンバーでも結婚する

そんなおたくのメンタル大荒れな昨今、推しを好きだと言えることはちっとも普通ではなくて、推しも自分自身も同様に、人間はすごく儚く脆いものなんだと痛感させられることが相次いだので、今まで以上に「推しを推す」という行為を大事にしたいなと思う。

 

わたしは若手俳優を推している。

今をときめく俳優のひとりで、仕事もたくさん、人気もあって、推しているのが本当にたのしい。

若手俳優の沼に足を踏み入れたのは10代の頃なので、早10年以上この世界で息をしていることになる。(推しはデビューして数年なのここではカウントできないけれど)

 

昨日瞬く間に広まった事実はあまりに残酷で、瞬時にわたしの胸を貫いた。

 

推しをみるとき、わたしはいつもこの時間が永遠に続けばいいのに、と思う。

そんなのは不可能だと分かっているけれど、漠然と、どこかぬるま湯に浸かった様な感覚で、これからもずっと同じ温度で推しに夢みていられるような気がしていた。

でもそれは決して“当たり前”ではない。

明日、今日と同じように推しを推せるかなんて、誰にも分からない。

だからやっぱり、今日推せる推しは、今日出せる100%の力で推したい。

明日なにかが起こったとき、後悔しないように。

 

このブログも、そんなわたしの推し事を記録するツールのひとつになればいいなと思う。

推しバレしたくないので当たり障りなく、いろんな経験を書き記していけたらいい…な……

三日坊主で終わるかも知れないけど。