霞を食べる日

穏やかに生きるための日記帳

おたくに友達は必要かというはなし

前の記事、勢いに任せて書いたら結構いろいろ書き直したいとこあって反省中。
でもとりあえずあんまり追記せずに置いておく。なんか問題あったらこっそり変えよう。

 

そしてたくさんスター投げて頂いて感謝でいっぱい。ありがとうございます…!
はてブロのシステムがよくわかっておらず…なんか至らないことがあったら申し訳ないです。

アメブロはペタ返しとかあったけど(懐かしすぎて書きながら死んだ)はてブロはそういう習慣あるのかしら。

あと割とPV数が伸びててびっくり。そしてビビりなので既にもうちょっと怖い。
でも誰かに意見を知ってもらえるの、ちょっと気が楽になるな。

拙い個人主観だけど、それが肯定でも否定でも、見てくださった方に感謝。ありがたや。
あと敬体で書くか常体で書くかも悩み中。当分ばらつきそう。

 

推し事に友達は必要なのか

前の記事で散々同担拒否のすすめ(?)を書いたけれど、じゃあほんとに友達いらないの?っていわれると難しい。友達ほしくないわけじゃないし。 

でも必要かといわれるとうーーーんどうなんだろうなあ。ピンヒールのミュールは素敵だけど、実際に買って使うかと言われれば微妙みたいな感じ。ちょっと違うか。

 

推しの炎上でおたくをやめた友人

実はつい1,2年前までわたしにも観劇友達がいたが、彼女の最推しが炎上したことで縁が切れた。
 

彼女がどういう対応を求めているのか、わたしにはわからなかった。

もしかしたら自分と同じように観劇趣味から抜けてほしかったのかもしれないし、同時期にのんきに推し事に勤しみつつも舞台の話をしなくなった、心ばかりの遠慮が面白くなかったのかもしれない。

ただわたしは、炎上した推しとは関係のない俳優やキャラクターや作品、これまで一緒に追いかけていたものたちを急激に否定しだした彼女の変わり身の早さに、おたくとしてではなくひとりの人間として傷ついた。

 

それにわたしは「こっちはおたくやめたそうにしてるんだから、当然一緒にやめてくれるよね?」という同調圧力に流されるほど推しへの想いが薄いタイプではないし、正直そういう”察してオーラ”を面倒に感じてしまったし、何より罪のない俳優やキャラクターたち対して一方的に毒を吐き続ける彼女との食事の帰り道、”やっとひとりになれた”と思ってしまったことが引き金になった。彼女といる時間はいつも最高に楽しいものだったのでそんな風に感じたことは自分でもかなりの衝撃だったし、同時にこれはもう修復できそうにないと直感した。

 

そのまま連絡をとらなくなり、その後彼女がどうしているのかは知らない。
10年間以上も仲良しでいたって、縁が切れる時はこんなもん。

 人と人との付き合いは結局たくさんの歯車の組み合わせなので、それがたとえほんの些細なパーツでも、ひとつ噛み合わなくなると全部の動きが止まってしまう。

こんな経験するのはもうまっぴらだー!と、いま心の底から思っているので、それがたとえ同担ではなかったとしても、この界隈*1で新たに友人をつくるという行為に尻込みしてしまっている。

 

息をするように同担拒否なので当然現場にはひとりで通っているし、いまのところ単独行動に何の支障もないので孤高おたく*2を極めるのも悪くないなと感じてきているのも確か。

 

壁打ちするおたくはなし

ただ現場終わりに、

今日の推しの素晴らしさを誰かに聞いてほしい!舞台の感想を口にしたい!誰かと話したい!

と思うのは確かで、そういうときこの感情を打ち明けられる、同じくらい舞台がすきな友達がいればなあと思ったりはする。

もちろん共通趣味の友達はいるけれど電話するほどの仲ではないし、電話できるほど仲のいい友達は舞台に興味ないし。

それに、映画にしろ舞台にしろ“作品“と名のつく物は、最終的には観客ひとりひとりがそれぞれの頭の中で完成させるものだと思っている節もあるので、下手に感情を打ち明け合わないのが平和なようにも思う。

みんなが「このシーンが好き」「この台詞回しが素敵だった」くらいのライトなプラス意見だけ言い合う場ならいいけれど、わたしは前にも書いた通りマイナスに感じた部分に関しては口にしたくないタイプなので、それぞれの主観による指摘合戦みたいになってしまうとすごく気が重くなる。

そう考えると観劇を通した交流で相手に求めているのは上辺だけの付き合いなのかもしれない。「なるほどそういう見方もあるのか!」と気づかされる、自分とは異なる視点を知るのは好きだけれど、その掘り下げ方は慎重に見極めたいというか。ある程度の感想は自己完結させたいというか。

だからひとまず同じ舞台を観た人との交流は避けたいし、かといってまったく作品に触れてもいない人にわざわざ電話するほどのことだろうかと思うと躊躇してしまうので、結局自分で思い出を反芻して終わる。

 

だって例えば自分の一番の友達が鉄道おたくだったとして*3夜更けに遠征先から電話がかかってきて

「今日の電車やばかった!車掌のアナウンスの声が神!コンセントの位置が完璧!昨日乗った時よりもブレーキかけるタイミングちょっと早かったんだけど減速具合が絶妙で、更には停車位置も文句のつけようがなかった!」

みたいなことを熱弁されたとして、楽しかったんだね、よかったねとは思っても、相手の感動の尺度は理解しきれない。

お互いがその状況を楽しめたり聞き流せたり、持ちつ持たれつの関係であればいいのかもしれないけど、結局それって壁打ちじゃない?と思うと、我が身に置き換えたとき、なんかもういいややめとこ…となる。

 

 

Twitterは満員電車状態

で、結果としてTwitterを使うのだけど、ほそぼそとしか動かしていないTwitterでさえんんん?となる事が起こるので、やっぱりおたく同士の交流向いてないのかなと思う。

 

例えば俳優のイベントや公演の告知のときに「ごめんね今回は行かないの…」みたいなエアリプを書く人をみると、(この人は一体…何に対して、誰に対して謝罪してるんだ…?)と思ってしまう。直接リプで行けませんって言っちゃう人と近しいものを感じる。別に推しはあなた個人に向かって出席をお願いしてるわけではないから謝る必要全くないよ…悲しいけど…悲しいけどさ!!!

 

あとこのまえの件*4のときに訃報を大量にRTし続ける人とか、本当に人としてありえないなと思ってしまった。

そしてTLを訃報で埋め尽くしながら、「こんなときにごめん。甘いもの食べたい。」とか書いちゃう。こっちこそごめん、意味が分からない。サイコパスなの?勝手に、勝手に食べてくれ!!!謝罪も許可もいらんだろ!!!

 

もちろんTwitterは個人の公開日記帳みたいなところなので何を呟こうが何を拡散しようが自由だけれど、反面、パーソナルスペースガン無視なインドの満員電車みたいに息苦しく感じる(乗ったことないけど。)

使い方次第では全然自由に呟けないし、ちょっとした呟きが誰かにいろんな影響を与えるし、誰とでも簡単に繋がれるのは凄いことだけどそれって何となく気疲れする。

上みたいにわたしが「???」ってなるツイートだって、その人にとっては意味のあるツイートなのかもしれない。だから何にも言わないけど、一度覚えた違和感はなかなか払拭されないし、息抜きのために根を下ろした場所で苦虫を噛む羽目になるのはどうも本末転倒に思う。

 

鍵垢において無遠慮なツイートをしまくる人と繋がってしまった時は、”せっかく新幹線のグリーン車予約したのにそこに修学旅行生の団体が乗ってた”感じ。まあ普通ならありえないことだけど。静かだと思って予約したのに思ってたんとちがーう!みたいな。

同じ料金払ってるんだから楽しく過ごす分には全然問題ないけど、無遠慮に騒ぎながら「わたしたちもあなたと同じ客なんだから文句言わずに見守ってください!」と言われると、文句を言う義理はないと理解しつつもやっぱりちょっとむっとする。

 

それから「わたしは同担拒否ではないので仲良くしてください!」みたいな文章を引っ提げて突撃してくる人からは、頼んでもないのに勝手にお弁当作ってきちゃう恋愛漫画の片思いの主人公みたいな面倒くささを感じるし、「あっ大丈夫です遠慮します」っていうと大抵こっちが”心のない冷たい人”となって後々面倒なことになる。あなたの心の広さは伝わったし気持ちはありがたいけどちょっと勘弁してほしい、みたいなこっちのニュアンスは伝わらないことの方が多い。突撃された方には選ぶ権利がないのか。

「推しの今後のスケジュールまとめました!見ていいですよ!」っていわれてもご苦労様です、でもそれこっちでも把握してますので…と思ってしまうし。

 

何がいいたいかというと、みんな自由で構わないけどそれを強要されるのは腑に落ちないという話。

相手に楽しんだり怒ったりする権利があるように、こちらにも同じ権利がある。

でもその権利の主張のボーダーが微妙なのがTwitterで、最近は「ああこの人繋がらなければよかったな、でも切ると面倒だしな、気を遣いながら呟くの疲れるな」と思いながら人とのつながりを増やすことを何だか有益に感じなくなってしまった。

ミュート機能があるけれど、耳を塞いでまで繋がってなきゃいけないのって何だか変。かといってブロックしたりリムったりすると現場で顔を合わせたとき気まずいし。なんだか全然自由じゃないし、現実逃避で始めたTwitterなのに、現実と同じくらい神経すり減らしてる気がする。

好きなことを好きなようにバンバン口にして、たくさん繋がった中から自分で取捨選択ができる人はすごく有意義に友人関係を楽しんでるんだろうなあ。嫌味とかではなくて本当に羨ましい。

わたしはNOと言えないTHE日本人なので、今のところ自分の気持ちを表せず言いたいことを言えず、結果そっとスマホを置いて一人で無になるしかない。はたしてTwitterをやっている意味があるんだろうか。(虚無)

 

結論:ひとりは寂しいけど楽

こうやって書くと本当におたく交流向いてないな…?っていうか実はおたくやるのも向いてないのでは…?むしろ人付き合い自体向いてないのでは…?

上手くおたく同士で友好関係広げてる方、どんな風に知り合いつくってどんな距離感でどんな交流してるんだろう。すごく気になる。

いまのところ一気にお友達増やして推しの現場で有名になって認知されてやるぜ!みたいな野望もないし(そんな目標をたてるつもりも全くない)平和に事が運ぶならときどきちょっと寂しくなったとしても、ひとりで満足してるほうが楽だし自分に向いてるのかもしれない。

もしかしたらみんな推しバレしてない・させない状態ならすごい楽しく交流できるかも。なんにしても今の状況じゃ友だち100人できないな。(リズミカルに)

 

仕方ないから今日も円盤観ながらひとりで飲む。みなさま良い夜を。

*1:若手俳優

*2:さっと行きさっと帰る

*3:思いつく限りで一番自分とはかけ離れた趣味なので

*4:11/15のこと